旧岩間家農家住宅
家とモノにみる くらしの連なり


北海道での新しいくらしと、
そこに息づく郷里の名残をめぐる—

1870年代、士族の一団が新たな人生を求めて現在の北海道伊達(だて)市に移住してきました。
彼らは、仙台藩亘理(わたり)領*からの移住者で、岩間家もその一員でした。
この住まいにみられる12この「みどころ」をたどり、岩間家が紡いだくらしの連なりを体感してください。

* 現在の宮城県南東部に位置する亘理町周辺

岩間家関係移住地図

みどころマップ 数字をタッチして解説をみよう!

岩間家農家住宅 みどころマップ
×

郷里にも同じ「棚」があった!

茶箪笥の写真

この戸棚は、この建物が岩間家の郷里の大工によって建てられたことを示すモノの一つです。
郷里である亘理町で、同じ時代に建てられた住宅でも、全く同じようなつくりつけの棚が見られます。

もっと知ろう!タッチしてさらに深く学ぼう

なんのための棚? この棚は、いわゆる食器棚です。このような棚を、宮城県周辺では、茶箪笥(ちゃだんす)と呼ぶことが多いようです。

×

神様と仏様は家の真ん中に

神棚と仏壇の写真

中座敷の壁に、神様を祀る神棚とご先祖様を祀る仏壇があります。
この壁は家の中心に近い場所にあり、このようなつくりは郷里である宮城県周辺でもみられます。そして、正月やお盆の飾りも郷里と同じように飾りました。
岩間家に想いを馳せ、祈ってみましょう!

もっと知ろう!タッチしてさらに深く学ぼう

小さい仏壇にも意味がある 岩間家農家住宅は、立派な建物の割に、仏壇は小さめです。
かつての士族の城下町では、役職によって住む場所が変わる、いわゆる借家住まいの状態でした。そのため、引越しが簡単に住むように、大きい仏壇はつくらず、最小限のサイズにすることがあったようです。
同じ農村群の旧樋口家農家住宅と比べると、仏壇が段違いに小さいです。

×

想いも「たんす」につめこんで

仙台箪笥の写真

このたんすは、岩間家と郷里との関係を示す重要なモノです。
これは岩間家が移住してきた時に一緒に持ってきたもので、「仙台箪笥(せんだいたんす)」と呼ばれる、宮城県を中心とする伝統的なつくりの家具です。このたんすに、どのような思い入れがあったのでしょうか。

もっと知ろう!タッチしてさらに深く学ぼう

選ばれた「たんす」 移住の際には、「たんす」や「長持(ながもち)」と呼ばれる大きな箱に、大切なものや日用品などを入れて引越ししました。
もちろん、家のすべての物を持っていくわけにはいかないので、この「たんす」自体も選ばれた品のひとつといえます。
 

質素だけど立派な「仙台箪笥」 「仙台箪笥」を知っている方は、美しい色味や華やかな金具の装飾を思い浮かべるかもしれません。
それらの魅力によって1800年代末ごろから海外へ輸出されるほど人気になりました。しかし、この「たんす」は、「仙台箪笥」の特徴が見られはじめた初期の時代のもので、まだまだ質素なつくりでした。

×

岩間家を訪ねた「お殿様」になろう!

奥座敷の写真

士族として移住してきた岩間家にとって、その「お殿様」である伊達邦成(だて くにしげ)の訪問はとても光栄なことでした。
ここでは、邦成が立ち寄った時の様子を再現しています。ぜひ座布団に座ってお殿様気分になってみましょう!

もっと知ろう!タッチしてさらに深く学ぼう

「お殿様」呼びのふしぎ 本当は「お殿様」ではなく、仙台藩亘理領の「領主」なのですが、敬意を込めて「お殿様」と呼んでいたようです。
 

この膳は家宝なんです 座布団の前にある台(膳)は、当時は伊達邦成のためだけに使っていたもので、岩間家にとって家宝のような扱いでした。
※展示品は複製品です。

×

「お殿様」からもらった大切なかけじく

床の間のかけじくの写真

移住先での岩間家の努力が身を結んだのが、このかけじくの存在です。
「お殿様」である伊達邦成(だて くにしげ)から特別な功績を認められた者だけがもらえたのでした。

もっと知ろう!タッチしてさらに深く学ぼう

かけじくには何が書いてある? このかけじくには次のように記されており、岩間家に宛てた内容になっています。

 岩間某のもとにまかりて 藤原邦成
 打ちそろい家むつましく勤めてし いさほはけふにあらはれてみゆ


【意味】
一家そろって力をあわせ頑張った結果が、このようにすばらしいかたちであらわれている。

×

かたむいた縁側!?

かたむいた縁側の写真

外と部屋をつなぐ空間を「縁側」といいます。ここを歩いてみると、斜めになっていませんか。
急な雨水などが吹き込んでしまっても、外に流れていく建築の知恵でした。

×

農具から北海道のくらしをひもとく

さまざまな農具の写真

農具をいくつか見ると、北海道への移住者たちのくらしがわかります。
たとえば、郷里で使っていたなじみのある農具にはじまり、開拓使が積極的に導入したアメリカの農具、その土地の状態にあわせた農具などが共存しました。

もっと知ろう!タッチしてさらに深く学ぼう

3つの農具に注目!

仙台鍬(せんだいぐわ) 郷里で使っていたものを、移住の際に持ってきました。
 

プラウ 西洋式の土地を耕すための農具です。馬と人が共同して作業しました。
 

片さくり プラウと似たつくりですが、伊達市への移住者たちが、その土壌に合わせた農機具として開発しました。土を掘って作物を育てるために整えるものです。

×

季節を感じる「稲架(はさ)」

稲架(はさ)の写真

農家住宅とセットでよくみられた風景を再現しています。
「稲架(はさ)」は、主に穀物をかけて干すためのものです。収穫物ごとの季節を感じる風景があったかもしれません。

×

水を守る神様

水神様の写真

ここにある石はただ置いてあるだけではありません。伊達市にある岩間家では、生活に欠かせない大切な水に感謝して、井戸のそばに水神様を祀っていました。

もっと知ろう!タッチしてさらに深く学ぼう

岩間家に本当にある水神様 下の写真は、伊達市の岩間家にある「水神」と書かれた石です。井戸を使わなくなってからも、正月飾りなどをするなど、大切に扱われています。

伊達の水神様の写真
×

大量の石がのった屋根

石置屋根の写真

屋根に板をおき、その板が飛ばないように石をおいています。釘を使わず石で抑える屋根のことを、石置(いしおき)屋根と呼びます。
岩間家はその後、開拓の村のほかの建物に見られる木の板を細かく重ねる屋根*になっています。
*北海道では柾葺(まさぶき)屋根と呼びます。

もっと知ろう!タッチしてさらに深く学ぼう

ほかの家とちがう屋根にしたかった? 移住先での岩間家以外の建物では、旧菊田家農家住宅のような茅(かや)を使ってつくる屋根が多くありました。その中で岩間家は、石置き屋根から柾葺屋根にしています。
屋根のかたちから考えると、もしかしたら郷里で多く見られる瓦葺(かわらぶき)屋根にしたかったのかもしれません。

×

柱の「みぞ」は郷里からつづく

柱の溝の写真

屋外の柱にみられるみぞは、この建物が郷里の大工によって建てられたことを示しています。
郷里である亘理町で、同じ時代に建てられた住宅でも、全く同じようなみぞがみられます。

もっと知ろう!タッチしてさらに深く学ぼう

なんのためのみぞ? このみぞと細い棒は、土でつくる壁と、柱とをつなぐために使われます。郷里である亘理町では、柱が見えないように外側をすべて土壁で覆っていました。
もしかしたら、この建物も本当はそのようなつくりだったのかもしれません。

×

くらしに不可欠な燃料

薪の写真

さりげなく積まれた薪は、当時の北海道の生活においてとても大切なものでした。囲炉裏やかまど、お風呂など日常のあらゆるものに火を使うため、ガスなどがない時代には薪を燃料としていたのです。
外に置くことで、乾燥させ、燃えやすくしています。